ピアノの先生は志賀先生という見た目もお婆さんな、老年の先生でした。
こんなことを言ったら怒られますが、それまで若い先生しか知らなかったので、余計にそう思ったのです。
先生は、僕の弾くチェルニーの100番を聴いて、30番にすぐ移るようにとおっしゃいました。
そして、「あなたは作曲に興味があるのだから、たくさんいろんな作品を弾いた方が良い。普通ピアノを目指す子はひとつひとつ丁寧に苗を植えて、育て、少しずつ畑を大きくしていくのだけれど、あなたの場合は、とにかく畑をできるだけ大きく耕してしまった方がいいわ。苗を植えるのはそれからよ」とおっしゃって、たくさんの曲に触れさせてくれました。
発表会には必ず自作も一曲披露させてくれて、それを聴いた姉弟子さん達から、感想をいただいたり、何よりも「あなたの曲よかった!」と言われるのはとてもうれしいことでした。
決して真面目な生徒ではなくて、練習も身を入れてしなかったし、だからレッスンは楽譜にしがみついて半ば初見で必死に弾いていたのだけれど、その怠惰を責められることはなかった。
むしろ僕は自分の初見の能力と、見破られていないなと図に乗っていたくらいでした。(当然、実際は見破られていたけれど)
レッスンでは毎週、一つだけは必ず直す事を言われました。
他にもいろいろ注意されるけれど、それは頭の隅に入れておけ!みたいな感じで、それらもその後、どこかのレッスンで必ず直す項目に加えられるというわけ。
こうして大学受験までお世話になりました。
この長いレッスンの間にたくさんの曲に触れる事ができたことと、その音楽の精神というか表現することへの刺激が僕を大きく育ててくれました。
僕の作曲の中に演奏する行為というか、音楽を奏でることへの意識が常に働くのは、このピアノレッスンがあったからに違いありません。
また、今ピアノ弾きとして活動できるのも、あの畑の派手な開拓があったからだと思っています。
志賀先生は、他界されましたが、今も感謝の気持ちでいっぱいですし、先生に師事していなければ、今の僕は無かったでしょう。
そして先生を紹介して下さった、あの音楽教室の先生にも僕は深く感謝しているのです。
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