MUSIC WORLD BY MASANORI KATOH
 
奇人の作り方
 

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<新連載> 奇人の作り方=我が1/3生 序節

僕の生活の柱は、作曲、編曲、それに演奏会の準備の3本です。
そしてこれが生活の大半を占めます。
作曲には当然時間がかかるわけで、実際に書き出していなくても、発想を捕まえることも含め書き出すまでにはある程度の時間を費やします。
編曲も、たいていは急ぎの仕事が多く、それに量も半端ではないこともあり、この仕事を抱えてしまうと他には手が着けられないという不健康な生活を送ってしまいます。
いくらピアノを弾けるとはいえ、他人の曲は尚更、自分自身の曲でもそれ相応に練習をしなければなりません。
作曲・編曲・演奏という3つの仕事を同時に抱えてしまうと、僕は逃げ出したくなってしまい、実際に逃げ出してしまうことも少なくないわけです(笑)。
これら僕の仕事は、家で独りしんみりと、地味に、半ば暗く、机とパソコンとピアノに向かって行うわけですが、ここに社会との接点というのは全くと言っていいほどありません。
ピアニストというのもこれに似たようなものがあるかと思いますが、それでもソロでない限りは、練習の過程において他の演奏家との接触があるわけで、準備・制作・完成までに全く誰とも接触を持たずして完結してしまう商売というのは、小説家のような創作家くらいといえるでしょう。その点で作曲家は音楽家でありながら他の音楽家とは、異質なものです。
しかし、作り出す音楽が全く世間や社会や時事など現在という時間と切り離したところに存在するならば、その音楽は、現在を生きる人にとって無用の長物となってしまうということも考えられます。
もちろんこれでいいという考え方もあるのですが、僕はどうもこれには不快感を抱いてしまうのです。
媚びるということではないし、それは僕が最も嫌うところなのですが、だからといって誰からも受け入れられることのない、どうでもいい自分の為だけの音楽というのはどうにもかわいそすぎると思ってしまうのですね・・
だから自分をいつも自分の世界と現実社会の中間に置いておきたいと、なんともバランスの取りにくい、できそこないの筏(いかだ)の上で、ウオサオもがいているのです。
作曲家は皆難しいことを考えているし、僕には難しすぎて頭が到底追いつかないので、僕のこの意見に反論を持たれる方も少なくないと思うのですが、頭でなく性格上そう思ってしまうので、仕方ないのです(涙)そしてその要因は、僕の生い立ちにあるようなのです。
考えてみれば、僕は今までの自分を振り返ったことなどあまりなく、自分の過去の作品を繰り返し聴くようなこともあまりありません。いつも自分が今書いているものに固執して、書き終わってしまうと手放したものとして愛情は冷めてしまう。(いえいえ恋愛は違いますよ、僕の場合も・・)
むしろ郷愁めいたものを抱いて、ああこんな時もあったのねん!?くらいに流してしまって、あまりその時のことを深く思い出そうとしたりはしませんでした。(過去の自分を愛する人ってそうはいないでしょ!?・・そんな意味です、愛情が冷めるとは.誤解なきよう。)
でも30歳を過ぎ、自分の音楽というものが見えてきてみると、しばしば過去を振り返ってみることがあります。そうすると今までの自分の軌跡の中から、自分の性格や方向性や思考や価値観といったものが見えてきて、否定したり、慰めたり、自画自賛したり(苦笑)などして様々なものの価値観と自分を比較してしまうのです。
おっと、筋が違ってきた。
さて、僕の活動には社会性が欠如するというようなことを言いましたが、そんな中でとても大事にしている活動があります。
それは学校訪問です。
小中学校、高校などに行って、音楽の授業や鑑賞会などをするのですが、思い出してみると僕自身身内に誰も音楽を専門にやっている人がいなかったので、子供の頃、音楽家が学校に来てくれるのはとてもうれしくて、演奏するのを聴いてさらに興奮していました。
この時に与えられる鮮烈な刺激とショックは非常に大きかったのを覚えています。
今の自分がある要素の一つにこのことは大きく関係しているのも事実です。
そんなこともあり、僕はこの活動を大切にしているのですが、僕にとって今を生きている人と交流する大切な場面でもあります。
先日、横浜のある中学校に、演奏というよりは話をメインにした講義に出かけてきました。
僕がなぜこの道を選んだか.また中学生の時何を考えていたかなどを話すことを求められたのですが、当初僕は自らを語るのが照れくさく、またそのような年齢でもないと思っていました。
大体僕自身のことを語ったってそれほど特別な道を歩んだ訳でもなく、そもそもが偶然でつながった紐の様なものなのですから・・
ところが、そのどうでもいいようなつまらない話が、どうも生徒には特に面白かったようなのです。
結局のところ「僕らと何も変わらない環境から出発した」というのに、共感したのでしょうね・・
この生徒の興味は今までの学校訪問のなかでも感じたことが幾度もありました。
また、ホームページを通じても多数、僕の生い立ちに関する質問を受けています。
・・となると、僕のこの何の参考にもならないであろう売れない半自伝も、そんな性格故に語る意味があるのかなぁと考え始めました。
また、僕自身幼少のころに学校に訪れた多くの音楽家に、同じように質問し、励まされたことがあることも思い出しました。
それ故、僕は自分の半生と言ってしまうと、60半ばで死んでしまうし、まだまだ死にたくないので、半生ならぬ1/3生を語る義務があるのではと考え、連載をすることにしました。
少々人と変わっていた自分の性格を奇人のそれにたとえ、どうやって今のような変わった男になったか?
名付けて「奇人の作り方」。

これを責任もって連載したいと考えたわけです。