MUSIC WORLD BY MASANORI KATOH
TOP
プロフィール
作品一覧
公演情報
過去の公演
メッセージ
酔いどれコラム
作品集
ギャラリー
 
リンク集





 
2008年初夏ヨーロッパ周遊記
 

5月20日(火) 日本:土砂降り/ドイツ:晴れ
午前4時半起床。
やはり、やっぱり、予想通りの大雨!
半端じゃない強雨に電車が止まる。
バスで空港へ直行。
SASで10時間、コペンハーゲンへ飛ぶ。
トランジットのセキュリティーでは、ズボンのベルトも取れと言う。
もし、渋谷の以前の若者の様に、ダブダブで腰にかろうじてぶら下がったズボンをはいている人は、ズボンが下に落ちてしまうのではと想像し、なぜかその厳しさに苛立ちを覚える。
トランジットの方向を間違え、このセキュリティーを2度通過。
2度ベルトを取り、ズボンを掴む。
コペンハーゲンからは1時間足らずで目的地のハンブルクに到着。
ハンブルクの空港からはベンツのリムジンで港へ移動。
革張りの椅子と広い車内に興奮。
19時半頃、乗船。日本時間の翌日午前2時半。
長い移動も含め、22時間も起き続けて、向かった先は「にっぽん丸」、場所はドイツだが、空間は日本。
不思議な感じがした。
夜は1ヶ月ぶりに再会の宮本氏と宴会して、爆睡!

5月21日(水) 晴れ
午前5時半起床。
6時からの風呂に入ろうとゴソゴソ起きて用意していたら、風呂は6時半からということで、甲板に出てみると、すでに小汗をかいて歩く、乗客に多数遭遇。
午前中、練習とリハをして、ハンブルク観光へ。
ハンブルクはブラームスの生地。
洗礼を受けた教会(他にテレマン、バッハの末子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハも深く関係する)を見学後、記念館を目指す。
が、休み。
ガイドブックでみた「エロティック博物館」にぜひ行ってみようと途中如何わしい界隈を、興奮をひた隠しに博物館を目指すが、移転か閉館か、とにかく工事中でなかった(涙)。
中央駅に戻り、オープンカフェでビールを味わい、スーパーで買い出し。
ドイツビールにチーズにサーモンに...いったい何しに来たのかという張り切りよう。
本気でビールを何本買うかに考えあぐねた。
18時に帰船。
今宵も晩餐。


5月22日 快晴
未明にハンブルク港を出航。
一度外洋にでて再びキール運河へ入る。
今日から一時間時間が早まる。
やっと慣れたのに、一日23時間になるのは起床時がつらい。
もう一度この現象があるらしい。
運河は比較的広く、水面の高低差は運河全体を通しても少ないのが特徴らしい。8時頃水門に到着。実はこの時大浴場に浸かってた。素っ裸で浴室から立ち覗いているといきなり向かいに建物が!こういう時でも仁王立ちしていられる自信が持ちたい(苦笑)。



天気は良く、田園地帯を航行。まだドイツだが、多くの風車が見える。



ちなみに船の船室の時計は自動で調整される。時差に対応できるようそんなところにも配慮がなされているのは、さすが。

さて肝心のクルーズコンサートの第1回は無事終了。
昨年の9月の東京湾クルーズとは違い、乗客の皆様はすでに船での生活を一ヶ月半以上送られてきているので、すっかりコミュニティーも出来上がり、この若造たちは何をするのかな?・・・とまでは言いませんが、皆さん楽しもうという空気が最初からあり、通常の演奏会の空間とは違う、いい意味でのリラックスにかえってこっちがビビったり(笑)!?
この夜は3月の王子ホールをベースにしたプログラムで、日本人作品を多く取り上げたプログラム。好奇心も旺盛な方々とも見え、興味深げに聴いて下さったこともうれしかった。
 
次のステージは30日。しばらくくつろいだ日々が続く。



5月23日(金)晴れ
今日も一日航海日。
しかしバルト海は風が強く、船外のバルコニーなどにはとても出られない。
乗客の皆さんもラウンジやライブラリーなど室内でそれぞれの過ごし方をされる。
僕は持ってきたDVDをみたり、少し勉強したり、ゆっくりと時間を過ごした。 
キール運河は本当に穏やかな航行だった。
船を追い越す勢いで、運河沿いの小道で自転車を走らせるお爺さんを見つけたり・・・日本では決してみることのできない光景だと思った。




5月24日(土) 快晴
ついにラトビアに上陸。
リーガという首都は、予想外に小さく、そして美しい街だった。
午前中、練習をしたので観光は午後から、夜の出航であったから、旧市街エリアしか観られなかったが、この日はたまたま家族デーとかいう祭り日でイベントがあちこちでされていた。



さて、船のついた港の風景をいくつか。


旧市街の光景





猫の家という建物があります。


そして旧市街中心のリーガ広場。



5月25日 晴れ
一日航海日。
天気は良いのだが、風が強く、甲板など外に出ることはできないので、船客は室内で過ごすしかなかった。
私の一日は8時前後の起床に始まり、まずは大浴場に直行、朝食の後は、ラウンジに移動してコーヒーをすすり、ライブラリーかそのままラウンジで読書などしながら部屋掃除が終わるのを待つ。
寄港日は、皆上陸して観光に出てしまうので、船内の催しものはなく、午前中からホールで練習ができるので、大体は練習で午前中を潰す。
昼食の後は、自由に過ごすことにして、寄港日は観光、航海日はDVDみたり、CD聴いたり、作曲なども時々はして、ゆっくりと過ごす。
アフタヌンティーの時間や、映画をシアターで観られたり、とにかく退屈しないのである。今日は映画チャイコフスキーを鑑賞。史実に基づく大作であったが、チャイコフスキーの生涯に知識のない人には難しい内容とみた。ロシア映画だから、大抵のロシア人はチャイコフスキーの生涯くらい知っているのかもしれないが・・・
夕食は18時から。食事の後はラウンジに移動してビールなどを飲むというのが何よりの楽しみ。毎日いくからすぐに馴染みになる。特に今回の航海は、高齢の方も多く、あまりお酒を飲まれないと見えて、ラウンジはいつも空いていて、僕らがカウンターでわいのわいのやっていても、支障ないくらいのお客さんの動きなので、ついつい長居をしてしまうという訳。
そしてほろ酔いのまま就寝という健康生活(?)なのである。



5月26日 快晴
チャイコフスキー、ボロディン、リムスキーコルサコフ、ショスタコビッチ、グラズノフにバラキレフにグリンカに・・・・この名だたる作曲家達が活躍した地「サンクトペテルブルグ」に今回来れることが何より楽しみだった。
また、私にとって初ロシア。ワルシャワに初めて行ったときもドキドキしたけれど、今回は何よりスケールが違うし、アルファベット以外の文字を使う文化に触れるのも初めてだった。
この地の滞在は2日間。初日の今日は、目的の一つであるエルミタージュ美術館が休館。そこで午後から街へ出て、楽譜屋を探すことにした。しかしとにかくロシア文字ばかりで、英語も通じない。便りのインフォメーションでは邪険に扱われ、行ったお店は楽器屋。そこでも英語の通じる人は少なく、やっとのことで見つけた楽譜屋は、とにかく暗かった。楽譜を買う仕組みも日本や西欧の僕の知る国々とは全く異なっていて、安価な楽譜以外気軽に手に取って見ることはできない。会計の仕組みも違うし、とにかく何から何まで違うから楽譜買うだけでとても疲れるのだ。
楽譜屋見つけるのにも苦労したし、妙な緊張感と慣れないロシア文字を作曲家名に変換する作業に身も頭もクタクタ。楽譜を買うのにこんなに疲れを覚えたのは初めてだ。
その後、いろいろと計画していたにも関わらず、我々は疲労困憊のため、とりあえず飯でも食おうということで、ロシアの文豪プーシキンが決闘の前に立ち寄ったと言われる『文学カフェ』へ。いかにも観光スポットナイズドされた店内は興ざめだったが、その分飯が旨かった。宮本氏のビーフストロガノフは実はあまり好きな代物ではなかったけれども、自分が知るストロガノフとは違って、とても旨かった。
美味は我々に精力を回復させたが、気力を回復させるまでには至らず、予定よりずいぶん早めに帰船。結局船の馴染みのラウンジで飲んだくれた。
この日は珍しく明け方まで盛り上がった。



5月27日 晴れ時々曇り所により小雨
渡欧後一週間が経った。長いような短いような。
しかし、これだけ天気に恵まれるのも珍しい。今日も予報では雨だったが、朝は晴れ渡っている。今日はピョートル大帝がサンクトペテルブルグを制服したのだか、建国したのだか、とにかく記念の日らしい。いくつか式典にも遭遇。
朝食後、目指すエルミタージュへ出発。
ツアーでないと入場までにとても待たされるという美術館。2、3時間待ちは覚悟しろと言われたが、行ってみたら30分も待たないで入れた。チケット売り場が少なくて、そこに個人客がごった返す、日本のように順序よく並ぶなんてマナーはないから、困ったことになるわけ。しかし誰も文句を言わないのが不思議だった。
エルミタージュはバカデカかった。ルーブルでもオルセーでもあれだけの絵画や展示品があると、ひとつひとつを鑑賞するということよりもむしろ完走ならぬ完見することに目的が移ってしまい、疲労だけが残るといういつものパターン。なんじゃかんじゃ4時間立ちっぱなし。最後の方は「早く帰ろう!」というまるで子供の様な駄々っ子ぶりが発揮されてしまい、35歳のパパは恥ずかしい限りであった。








午後はかの作曲家の墓参りへ。
暗くて深くて人がたくさんいてなんだか薄気味悪い地下鉄に乗って墓地へ。
チャイコフスキー、リムスキーコルサコフ、ムソルグスキーに、僕と誕生日が一緒のボロディン。


ウィーン郊外にマーラーの墓地を初めて訪ねた時にも思ったが、実際に生き、生活し、一つ一つの音符を実際に苦悩しながら書き続け、この世に生み、幸せを与えてくれた作曲家を目の前に見るような感覚。
子供の頃の純粋な憧憬が一気に蘇り、何とも言えない興奮を覚えるのである。
 
おそらくこの最後の観光がとても印象的であり、僕を素に戻したからだろう、サンクトペテルブルクを日没とともに出航した時には、寂寥感を覚えた。
排ガスにより汚れた空気、真っ白に靴がなるほど埃も多く、交通マナーも決して良いとは言えない街。共産時代を思い起こす暗い店や地下鉄など、良い印象を決して残したとは言えない街だが、ガイドのロシア人が最後に言った「サンクトペテルブルグはいい街だったよと、思い出してくれたらうれしいです」という言葉が、墓参りの興奮と重なって、妙に強い印象を僕に残した。
 
船ではチャイコフスキーの『胡桃割り人形』が流れている。
気のせいか、実際にチャイコフスキーに出会った様な気持ちで聴いている。


5月28日 晴れ
一日航海日。
今日はオレンジナイトと称して、カジュアルな服装ながらも何らかしらの
オレンジのポイントを纏い、夜を過ごす約束。
それに関したイヴェントもあり、朝から盛り上がっていく雰囲気が漂う。




船はスウェーデン沖に停泊。明け方の入港にあわせて時間調整をしている。
静かなバルト海のど真ん中に漂うのは貴重な経験だろう。
2日間のサンクトペテルブルグ観光の疲れが出たのか、些か体調が芳しくない。睡眠もとったのだが、珍しく午前中に集中して仕事をしたせいで、体が拒否反応を示したのか、船酔いの予感がして酔い止めと常備薬を服用したら、極度の睡魔に襲われ、昼寝。
幾分、改善したので、今宵の演奏の準備をする。
急遽、ラウンジでの軽めのプログラムをやることに。
普段のコンサートではできないような選曲をして、こちらも楽しもうと考えた。



5月29日 晴天


スウェーデン領、ゴットランド、ウィズビー。
全然知らなかった島。

大体スウェーデンにも大して興味を持っていなかった私は、スウェーデン本島ではなく、離れた島にわざわざ寄港することを何故かしら?と思っていた。
船に乗ってから知った事だったが、実はこの街が宮崎アニメの「魔女の宅急便」のロケ地という事実を知り、にわか宮崎アニメファンの私は、興奮し、宮本氏に息巻く始末。全く恥ずかしい限りである。
しかし、島は本当に美しく、静かで、明るくて、清潔で、人々も温かく、日本にいるような安心感を味わった。
もちろん宮崎アニメの舞台になるような街角もたくさん見られたし、その興奮もあったけれど、とても強い感激というか、刺激が常に心を満たし、何かを書きたい衝動に駆られた。








宮本氏もこの島と街が気に入った様で、それぞれの感動はウィズビーを舞台にした新たな歌曲の制作につながった。


今宵、ひとつの詩が完成。徹夜で作業する。
そしてその後に2つの詩が完成。
帰国後に曲も完成させた。



5月30日 晴れ
今宵のメインショーでお役御免!
実は昨夜徹夜で書いた曲があった。
宮本氏が作詞したウイズビーの歌。
アンコールで披露しようかなと思っていたのだけれど、断念。
ちょっと残念な気持ちもあったが、選択は正しかったかなという感じも演奏後にした。
船のお客さまやスタッフと仲良くなったり、それぞれの船旅にかける思いや、それまでの人生の話など興味深く、普段の演奏会とは違うそれぞれのこの船での出会いの意義深さに、また乗ろうという希望を気づけば抱いていた。




5月31日 曇り時々雨
いよいよ船最後の日。
すっかり暮らしやすくなった部屋の物を片し、寂しさを覚えながら船のイベントを味わった。
船客に比べれば僕らは浅い日々しか暮らしてないけれど、それでも、もしくはそれだからこそ、この10日間あまりはとても濃い味わいの日々であった。
別れを惜しむのは僕らの方だが、何か幻のようにも感じながら、その思い出のページを閉じるように、スーツケースを閉じた。




6月1日 朝のうち晴れ、後曇り、後雨
スコットランド、エディンバラに下船。
いよいよ船とはお別れ。


これから1週間の男二人旅が始まる。
スコットランド二人旅は、ブログ「今日の私」2008年6月1日〜6月13日にて公開しています。